15の歳に修業にはいって以来、55年もの間鮨をにぎり続けてきた父。今でも第一線でがんばっているものの、長きにわたる立ち仕事もたたって、ひどく膝の痛みを訴えるようになった。今年に入って目に見えて歩き方もおかしくなり、どうにもこうにもこれでは辛いと、一大決心をして、この夏人工関節の手術を受けることになった。
両膝ともやりたい、と本人は希望したが、3年ほど前と去年、左の足は蜂下織炎を煩っていて、それを医師に告げたときに、「う〜ん、左はやりたくないですねー、リスクが大きすぎる」と言われ、とにかく今回は右膝だけの手術になった。
無事に手術も終わり、術後の快復も順調で、もう既にリハビリも始まっている。
ほぼ毎日、病院には顔を出しているが、はじめの数日は切ったところが痛いのか、それまでのタイトな仕事の疲れがでていたのか、うとうとしていてろくろく話さずに帰った日が続いたが、ここのところは、結構話し相手を待っているかのようにしている。
昨日の水曜日は店の従業員のみんなや魚屋さんのおいちゃんも行ってくれていたみたいで、なんだかうれしそうだった。
今日は、私が免許の書き換えで午後1時には免許センターに行くのだ、と病院にはお昼前に行ったら、エレベーター前のソファーのところで、同じ階の患者さんたちとサロン状態。いつの間にそんなにみんなと仲良くなっていたのか??
昼食の時間だと、私たちも部屋へ。車いすを操る姿もなかなかさまになっている。ごはんが運ばれるのを待つ間に、私は洋服の片付けと洗濯物の整理。
・・思えば膝の痛みを訴えて始めたのは、母のなくなった5年前からだったことや、あの前後から父も入院を繰り返していたこと(病気だけでなく事故ったりもしたからな)そうしてその都度、こんな風に私は父に付き添い父と過ごしたことを、ぼんやり思い出していた。母がいなくなってから初めての入院のときは、私が父とどう対応していいのかわからなくってひどく疲れを感じていたし、父は父で残してきた仕事のことが心配で弟に何度も電話をかけていた。
今回の入院は、今までの感じと少し違う。父の周りの時間がゆっくり流れているようだ。仕事のこともすべて弟とお嫁さんに任せている。
少し目線も違う。「この関節とも、20年はつき合わないだろう。いいとこあと10年かな」と、あきらめとは違うものの、はっきりとその辺りのことも口にする。未来に対する不安感や恐怖感からではなく、なにかここで生きたんだという実感を感じつつ平和なうちに最終コーナーを過ごしたい、そのためにはじゃあどうしたらいいか、というような感覚を自分なりに模索している感じ。案外、用意周到な父らしい反応だ。
「鮭はたまごから帰って稚魚になって大人になって海にいくだろ。そうして何年か泳いで次の世代を残すために川をまたのぼって、そうしてついには死ぬ。歳とるって、海から川をさかのぼってまたもとに戻るっていうか、還るってことなんだよな」とぼそりという。
昔は、・・私も幼かったこともあるけど・・こんな話なんかしたことなかったのに、こうやって父とゆっくり話す時間をもっている。そういう父の言葉をゆっくり受け止められてきている自分の存在に、自分ながら驚く。
リハビリはまだ当分続く。私の通院も続く。
そうして、父と私のこんなひとときももう少し続くだろう。退院の頃には、おたがいどんな風に変化しているのか、な